Homeレポート【090307】ガザが語る、パレスチナの将来ーー イスラエルによる占領を読み解く

【090307】ガザが語る、パレスチナの将来ーー イスラエルによる占領を読み解く

◎2009年3月7日 13時30分〜/東京麻布台セミナーハウス大会議室(東京・神谷町)

 ロイ氏の講演は、まずパレスチナ、とりわけガザという地域の歴史的コンテクストを、具体的な数値と共に検討することから始められた。そこでは特に、2000年の第二次インティファーダ以降の最近8年間にパレスチナ社会が被った被害は、実は1948年のナクバや67年の中東戦争後に始まる「占領」よりも大きな喪失・分断を伴うものだったという、一般にはほとんど伝わっていない事実の確認に重きが置かれていた。
 占領によってただでさえイスラエルに依存させられていたガザ/ヨルダン川西岸の経済は、本来はそこからの脱却を見込んで合意されたはずのオスロ合意後の低開発(de-development=開発阻害)プロセスによって、より脆弱な、従属的なものに変えられていった。その一つの必然的な帰結としての2000年第二次インティファーダ、そして2001年<9.11>以降、対テロリズムの名目と共に強化されていった分断と封じ込めの数年間において、さらに坂道を転げるように弱体化していったパレスチナ社会。昨年末〜年頭のガザ侵攻に先立ってあったのは、そうした知られざる破滅的状況だった。

 こうした中、パレスチナを取り巻く状況にも大きなパラダイム・シフトが訪れたことをロイ氏は指摘している。
 その一つは、1993年のオスロ合意まで、そしてオスロ和平プロセスの進行していた期間(93-99年)には、「占領と和平は両立しない」という認識が、国際社会はもちろん、イスラエルの一般的な人々の間でさえ、まがりなりにも存在していた。しかし今、占領/入植地によって生じる利益に結びつくイスラエル人の数が増え、そこをいかにイスラエルに統合するかという議論が当然のものとされている。ヨルダン川西岸地区はもはや「占領地」というより、自国の延長としてイスラエルの主権を押し付ける対象になってしまった。
 この錯誤を、パレスチナ支援に関わる援助国も共有している。国際法の関わる、政治的・制度的課題であるはずの「占領」というタームで考えることが放棄され、隔離壁や検問所がひしめく、パレスチナ人の領土の分断・細分化に疑念を差し挟むことが稀になって久しい。

 そのように、パレスチナの国家主権を築く方向をひたすら遠ざけながら、いざ「戦争」が起きた際には、2つの勢力の間の国境紛争を調停するという形式的な努力が繰り返される。同時に、破壊を被った側への人道援助が提起されるが、ガザの軍事封鎖に対しては、これを解消しようとする「人道的な」動きは一切起こさない。人口140万人のうち、110万人以上が国際食糧援助に頼らざるを得ない状況にまで追い詰められていたのに、これを人道的に解決する見通しが立てられなかったのが国際社会の現実なのだった。

 ロイ氏はこの部分をもう少し深く掘り下げている。イスラエルは西岸地区に対しては経済生活を弱体化させ、従属させるという狙いが主軸であるのに対し、ガザ地区に対してはこの封鎖政策を通じて明らかになったように、経済という概念を除去するほどの無力化を狙っている。これも一つのパラダイム・シフトである、と。
 ガザは昔も今も変わらず、占領に対する最も熾烈な抵抗拠点であり続けていることに加え、ハマースが選挙で勝利して実権を握った。そのことを受けてイスラエルの側に、パレスチナ人を敵対的な「侵入者」と人道的な救済対象に二分化しながら飲み込み、自分達の主権の正当性を高めようとする狙いが強まっている。これは西岸とガザに対する対処の違いでもあり、同じ西岸の中でも、少数のそこそこやっていける地域の者たちと絶望的な生活を強いられる者たち、その両者が分断され、排除し合うような形でしか関われないようにコントロールするという政策の中に、その意志を見ることができる。そして国際社会(主要支援国)の動きも、結局はそれに歩調を合わせている。

 ハマースは一般に思われている「強硬」姿勢のイメージの一方で、実はイスラエルと二国家解決で妥協する意志がある。これはイスラエルの諜報機関でさえ報告していることで、イスラエル政府が把握していないはずがない。
 今度の侵攻にしても、イスラエルがガザの封鎖をやめさえすれば、ガザからのロケット攻撃はたやすく阻止できた、それもイスラエルは知っていた。にもかかわらず軍事侵攻を行なったのは、ハマースともテロとも関係がない。イスラエルが砕きたかったのはパレスチナ人の抵抗の心そのものであり、一片の領土も返還するつもりはないというメッセージを、そこに叩きつけるためであった、とロイ氏は見ている。

 このような状況で、ガザは今も人道援助あるいは「復興」の対象になっているが、一体何を「復興」しようと言うのか?──緊急の人道援助を別として、第一のアジェンダは空しいパレスチナの「建国」ではなく、「占領の停止」であるということ、占領が終わらなければどんな変化も発展も無意味であることが周知のものとなる、そのようなパラダイム・シフトこそが必須である、とロイ氏は訴え、講演を締めくくった。


 次にジャーナリスト小田切拓氏による、ガザの最新ビデオ・リポートの一部が紹介された。
 すさまじい廃墟の絵を映しながら、小田切氏は、それでも今回の攻撃は物理的な全面的破壊というのではなく、むしろ次にどこに爆弾が落ちるか分からない、誰がどこから撃たれるかわからないという恐怖を、広範な住民に均等に味合わせることが目的のロシアン・ルーレットのようなものだった、と解説。ただし、これまでガザにおいては姿の見えない場所からの攻撃を主としていたイ軍の兵士が、堂々と顔を見せながら住宅地に侵入し、家に上がりこみ、テロリストの疑いのある者を引きずり出して、家人の見ている前で銃殺するという行為に及んでいる。これらはロイ氏が指摘する、西岸に対するのとは違う、イスラエルのガザへの敵愾心を裏付けているようだった。


 その後の質疑応答は、会場から質問用紙に記入してもらった集めたものを司会が整理してロイ氏に尋ねる形で進められた。
 研究動機や研究履歴についての質問に対しては、ロイ氏は西岸・ガザ地区に入っていったときの感想や被占領下のパレスチナ人と接した体験などを語り、当時ユダヤ人として占領問題に取り組む人間が極めて稀であったこと、しかし近年は状況がだいぶ変わりつつあり、欧米のユダヤ人やイスラエルのユダヤ人にも具体的で継続的な占領批判の運動が広がっていることを強調していた。
 「一国家案か二国家案かという議論があるが、どちらがより現実的な解決策なのか?」という質問に対しては、まずはオスロ和平プロセスによってこそ、パレスチナ国家の独立による二国家解決策が不可能なものにされてきたという事実に立脚することの重要性を、ロイ氏は改めて指摘した。占領下で完全に社会経済の基盤が根本的に破壊されてきたという事実に向き合わずに、一国家か二国家かという問いに焦点を当てるのは、真の問題から眼を背けることになる、と。
 国際援助がイスラエルの占領を助長する構造になっている現状で、各人に何ができるのかという問いに対しては、ロイ氏は、実のところ占領を裏付ける基本的データが公然と存在しておりアクセスできる以上、あとは異議を発し占領を問いつづけること、アメリカで日本でイスラエルで、それぞれがメディアや議員や公的機関に対して要望や抗議を書くことによって、彼らを教育し、主流の言説に影響力を行使することが重要である、と訴えた。

(文責:斉藤)

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